人の本質は光である
2025年06月11日
株式会社ハッピーコンビの荒井幸之助です。
人は光っているんだよ、と言われたらどう思いますか?
「バイオフォトン」と呼ばれる現象があります。
生物の生命活動では細胞が呼吸することによって、体内の物質が常に酸素と反応しています。
バイオフォトンとは、その反応が肉眼では見えない極めてかすかな光として観察されることです。
この現象は、特殊な高感度カメラを使うことで観察することができます。
ちなみに蛍などが発する光は目で見えますから、これはバイオフォトンとは別の働きによるものです。
先日、カナダのカルガリー大学の研究チームによって、生物が亡くなると、この光も消えることが発表されました。
実験ではマウスとシロイヌナズナとヤドリフカノキという植物で実験されました。
また、傷がつくなど生物がストレスを受けると、その部分は強く光るそうです。
この発光を測定して利用すれば、将来、医療の分野では病気の早期発見、農業では作物の効率的な収穫などに応用できるそうです。
ここで思い出したのは、漫画「キングダム」で秦の始皇帝となる嬴政(えいせい)の「人の持つ本質は光だ」という言葉です。
これは嬴政の政敵である呂不韋との問答で、人の本質について話す場面で放たれた言葉です。
私にも、人の本質という意味でしっくりきたので印象的な言葉でした。
人が光である、というのはいろいろなジャンルの物語で語られています。
ゲームのファイナルファンタジーやゼルダの伝説では光の戦士など、闇との対比として描かれていますし、宮澤賢治の銀河鉄道の夜では魂が星となって光っています。
また、宗教でも光は人と強く関わります。
キリスト教のヨハネによる福音書では「私は世の光である」として、聖人や使途は世に光を運ぶ存在として描かれています。
ヒンデュー教では魂は光として内に宿るといい、ゾロアスター教では、アフラ・マズダ神は光の存在とされます。
その他の宗教でも似たような概念で語られていることが多いのではないでしょうか。
闇を照らす光、光の基となる炎そして太陽。
光は私たち生物の糧となるだけでなく、人間として生きる心に必要なのは間違いありません。
そう思うとなおさら、人は光であるという空想上の概念だと思っていたことが、実際に人が光っているなんて、素敵な話だなあと。
もしかしたら、人のオーラとか、覇王色とか、そんな概念もバイオフォトンと関係があったりして。
いつか、経営にもバイオフォトンが生かされる時代が来るかもしれませんね。