スマホとドラえもん
2022年05月31日
株式会社ハッピーコンビの荒井幸之助です。
今日もスマホのおかげで仕事がはかどりました。
朝、アラーム機能で起きて、睡眠の質を確認、メールをチェックして、主要なニュースを読む。
カレンダーで今日のスケジュールを確認したら、クラウドフォルダで仕事の経過を確認して、メモしておいた資料を準備。
訪問先の天気予報と交通の最短ルートを確認して、出発までipadで日経新聞を読み、世界の株価や為替を確認する。
ついでにSuicaの残高も確認して、昨日届いた請求書の支払を済ませる・・。
朝だけでもこれだけのタスクをスマホで済ませることができるって、すごいと思う。
もしスマホがなくなったらと思うと、自分にとって災害レベルの支障が出るのではないかと思ってしまう。
スマホ以前の自分は、これらを何か別の物で行っていたんだろうが、それらはどこへ行ったのだろうか・・。
そんな便利なスマホだけれど、きっとドラえもんがいたらもっと便利なのだろう。
例えば、こうした朝のルーティンをドラえもんが全部やってくれるかもしれない。自分の代わり、コピーロボットだ。
さらにドラえもんが何か凄い機能を持った道具を活用すれば、こんな作業は無いにも等しいし、情報も頭に自動転送、みたいになるだろう。
その先、ドラえもんのようなロボットが人の全ての仕事をこなすようになったら、人は働かなくなるのだろうか。
そうしたら、わざわざ面倒くさくてお金のかかる、私も大好きなバーベキューという食事をして楽しむように、わざわざ危険だったり面倒くさい「仕事」を楽しむアトラクションが流行ったりするのかもしれない。
「東京仕事ランド」みたいな施設に休日は家族が押し寄せる日も近いのかも知れない。
現代でもヨーロッパの都市生活者が休暇に田舎を訪れて、レジャー目的で農作業を手伝ってお金をもらう、みたいなことがあるから、
東京仕事ランドでも遊びにきた人がお金を払うのではなく、仕事を楽しんでお金をもらう、みたいなこともあるかもしれない。
そもそも仕事がなくなったら、人はその時間、何をするんだろうか?西洋や日本の貴族は何をしていたのだろう?
ギリシャの哲学が奴隷制度を前提に暇人が発展させたことは有名だけれど、ロボットが生活の全部をしてくれたらみんなで哲学でもするのかな。それって面白いのかな。
でも、何か一日の仕事を終えて、いや~やっと好きな事ができる!という感覚。
一汗かいて、いや~ビールうまいなあ!という瞬間。
そういうかけがえのない瞬間が生活から一つまた一つと無くなっていくように思うのは気のせいだろうか。
実は仕事のような結構ストレスのかかるものって、人生を豊かにするのでは?
人のために何かをして喜ばれる、そういうものが人には必要なのではないかな。利他の精神。
人のためにもっと役に立ちたいから、人はもっと頑張ってしまうのではないかな。
それと、楽しくて仕方がない、好きで仕方がない、そんなことが仕事なら、
それは仕事なのかな、趣味なのかな。好きを仕事にして生きていけるようになったとき、仕事という概念がなくなるように思う。
そういう人達を知っているけれど、ライフワークバランスなんて考えはなく、自分の生活を苦楽を含めて楽しんでいるように見える。
そう考えると、きっと仕事はなくならないし、いつの時代も何かしら人は仕事らしきことをするのだと思う。
以前、仕事をすること、働くことは端の人を楽にすることなんだよ、と教えられたことがある。
日本はドラえもんがいてくれたら便利になるが、それでみんなが幸せになれるのだろうか。
日本は良くても世界はどうなのだろうか。隣で戦争が起きていても幸せといえるのだろうか。
もっと平和に、もっと優しい世界を創れるはずなのに、そうならないのはなぜなのだろうか。
きっとスマホが作ってくれた、ドラえもんが作るだろう自由な時間は、
世界がずっと平和で皆が幸せでいられるような発明品をみんなで考える仕事をするための時間になるのではないか、と思いました。